全体朝礼より

令和5年8月の講和

更新日:2023/08/01 13:23 カテゴリー: 朝礼

院長のタイトルは「体調管理とシニア割」でした。

俊野常務の講話「輝いて生きる」から

 皆さんおはようございます。うだるような暑さがつづいています。家でくつろいでいても暑くてだれていましたが、唯一世界水泳は、プールの水が透き通って涼しそうなのと池江璃花子選手に何とかメダルをと祈りながら欠かさず観ていました。池江選手は残念ながらメダルには届きませんでしたが頑張っていました。

 一方で何種目かで、とんでもない世界新記録がつくられました。そんな中で敗れた選手が1位の選手に握手を求めたり、ハグを求めるシーンがあります。

 ほんの0.0何秒とか数センチの差で2位に甘んじることがあります。そんな時「コイツさえいなければ優勝できたのに…」私ならそう思ってしまうかもしれません。

 それなのに…、悔しいに決まっているのに。敗れ去った次の瞬間に、優勝者に対して笑顔で握手を求める姿。それはもう、神々しいほどに美しくて清々しく見えるのです。
その時の2位の選手はいったいどんな気持ちなんだろう、悔しさよりも精一杯頑張った清々しさが上回るものなんだろうか?
そんなことを考えていたとき、新聞のコラムで、元陸上選手の為末大氏の新著「熟達諭」の紹介がされていました。
その中に、「成功者の言葉しか世の中には残らないから『やればできる』が格言になる。夢はかなわないかもしれない。叶えるための努力は無駄に終わるかもしれない。でも何かに向かったその日々を君は確かに輝いて生きていたのではないか。それを報酬だと思わないか」というフレーズがありました。

 輝いているのは結果を残した選手だけではなかったのです、目標を目指して必死になっている時みんな輝ける時間を過ごしているんですね。だから清々しく勝者を素直に称えることができるのかと納得がいきました。

 損か得か、勝ちか負けかですべて評価する傾向が強まる一方である。でも「夢中で何かを探求する喜び」こそ、人生を豊かにするのだと考えさせられた。とコラムは結ばれていましたが、私たちもこれからでも輝くことができるということです。どうせなら輝いて生きたいものです。